2012年01月29日
これから暫くは、2011年の採集・観察行動の総括を書いていこうと思います。
こうして前年の総括を書く時期が年々遅くなり、今年は2月が目前に迫ったこの時期からの書き始めです。
果たして、ギフチョウが出現する前に書き終えることができるのでしょうか…。
01月
01月はキマリンの下見で京都市上京区へ1回出かけただけでした。(上京区なのに出かけるという表現はおかしいか?)
行った先は
←ココ、北野天満宮でございます。
このように、本殿脇のウメがとっても良い雰囲気です。
間違いなく過去(35年前)にはいっぱい居た平野神社からこのウメの木までは、
地図上の直線距離で約200m。
場合によっては、(推定発生木の近くに適当なテリトリーポイントが存在しないとか)
平気で飛んで来る距離です。
そして、ウメの名所である北野天満宮には、この他にもウメの古木が沢山在り、
「京都市上京区ラベルのキマリンも、夢ではないかも?」
と思わせてくれるのですが、立場上、ココで怪しい行動をとる事は絶対にできません。
楽しくムシ採りできるのも、仕事があってこそですからね。
2012年02月01日
今日から2月、陽光は明るく感じますが、今年は強力に寒い日が続きますね。
さて、今日も前年の総括です。
02月
02月は、下旬に沖縄県の粟国島に行ったのですが、このお話は既に書きました。
この粟国島以外ではキマリンの下見を、仕事のついでに京都市内で2回行いました。
そのとき訪れた場所のひとつ、
←ココは将軍塚の大日堂、ふもとの青蓮院門跡さんの飛び地境内になります。
そしてこの大日堂の周囲には、おいしそうなサクラがいーっぱい植えられておりました。
山麓ではなく山頂に近い場所なので、地形的条件としてはキマリンのお好みとは言い難いのですが、
全体の雰囲気から、 「ココは居てる」 との判定…。 「けど、採れん!」
でございました。
周辺の環境を調べてみた結果、雄がテリトリーを張るのはこの庭園内のみで、
わざわざここから出てテリトリーを張るような好条件の空間は無いと断言してもよさそうでしたし、
また、冬場だったのではっきりしないのですが、吸蜜に訪れるような植物も付近には無いようでした。
従いまして、6月中旬に再訪したところで、キマリンは絵に描いた餅であろうと判断し、
以後訪れておりません。
03月
03月11日、滋賀県彦根市の長女の下宿から荷物を引き払う為、軽トラの荷台で作業中に揺れが来ました。
その瞬間、地震だとは思わず、「これが、めまいというものなのかな?」と思っていたのですが、
しばらすると下宿のお隣さんが出てこられ、「東北で震度7の地震があったらしい」と教えてくださいました。
以後3月中は蝶を対象に出かる気になれなかったので、何処へも出かけておりません。
2012年02月04日
立春です。
今日の太陽は、まさに春の光。
思わず、「ギフぅーっ!」と叫びたくなります。
そして、続けております2011年の総括、今日は04月です。
04月
先ずは04月に訪れた場所を列挙しておきましょう。もちろん主たる対象種はギフチョウです。
04月10日:兵庫県豊岡市と朝来市
04月12日:福井県南条郡南越前町
04月13日:京都市西京区
04月14日:京都市右京区
04月17日:京都府京丹後市と兵庫県豊岡市
04月18日:京都市右京区
04月21日:京都市左京区と滋賀県大津市
04月24日:兵庫県城崎郡香美町と美方郡新温泉町
04月27日:京都市右京区
04月29日:兵庫県城崎郡香美町と豊岡市
2011年の04月の伏見屋金物店休業日は03日、10日、17日、24日、29日でした。
これら休業日における遠方での採集や、平日のお出かけ先が京都市内や大津市である事については何ら問題ないのですが、
12日(火)の福井県南条郡南越前町というのが少々ひっかかりますね。
この04月12日、気温は低いものの朝からとっても良いお天気。
通常営業日ですから伏見屋金物店を07:30に開店したのですが、「今日行けば、杣山型が採れるに違いない…」
という何の根拠も無い思い込みが私のアタマを支配し始めたものですから、妻なる方に、
「誠に申し訳ございませんが、3時半頃には帰りますので、お店の方をヨロピク!」
と杣山方面へ向け、出発したのが9時過ぎ。
杣山付近(杣山本体ではやりたくないのでその付近)までは、爆走すれば2時間30分程度の所要時間なので現地へは12時前の到着。
気合を入れて2時間弱採集し、店へ戻ったのは少し遅刻の4時頃でした。
で、結果でございますが、これは皆様ご想像の通り、杣山型にはカスリもせずノーマルタイプを意地汚くも約・雄のお持ち帰り。
例年通り、引きの弱さを露呈してしまいました。
画像がないと寂しいので標本画像です。
このギフチョウは杣山付近産ですが、一昨年の「2010年」に採集した個体です。本当は2011年の個体をUPしたかったのですが、
[ふしみやDB2011年版]の打ち込みが終わらないのでラベル印刷ができず、
2011年採集の個体は未だ全て展翅板に貼り付けたままなんですよ。
2012年02月07日
蝶とはあまり関係ないのですが、フリーのビデオキャプチャーソフトである[CamStudio]が突然起動できなくなりました。
「うむぅ〜、これが使えないとYouTubeに動画がUPでけへんやん…」
ということで、慌てて調べてみると、どうやら有効期限切れだったようです。
この問題を解消するため、本ソフトの日本語版を提供されている方が、
「2030年まで有効にするパッチ」を製作し配布されていたので、ありがたくコレを頂戴し、
当ててみたところ、見事に問題は解決いたしました。
なので、せっかくですから2011年の総括は一旦お休みし、動画をUPしましょう。
拙ページを訪れてくださる皆さんには、釈迦説になってしまうでしょうが、
[Gimp]による標本画像編集の一例をUPしようと思います。
前回の02月04日にUPした画像、即ち「ギフチョウ同一個体の表裏を一つのJPGファイルに仕上げる」
という作業の過程を音声(喋りが下手の上に音量が小さくてすいません)付きでUPしておきました。
↑の動画、約15分もありますので、お暇なときにどーぞ。
2012年02月10日
2011年の総括に戻ります。
こうして振り返っていると、04月にあったこの事件
について、再度触れずにはいられなくなりました。
なので、今日も2011年04月の続きです。
04月(続き1)
この地図を公開するかどうか、かなり悩んだのですが、熟考の末のUPです。
先ずは、この地図をご覧いただきましょう。
×印は、私がこれまでにギフチョウを採集・目撃した地点で、
黄緑色に薄く塗った部分はミヤコアオイが生えていた場所です。また、●印が2011年04月13日に件の男性と遭遇し、
言いがかりをつけられた場所(その男の肖像撮影地点)になります。
そう、この地図はギフチョウの一個体群(以下、小塩山個体群とします)が生息する範囲をあらわしています。
この小塩山個体群は以前ならば大阪府と京都府との境に在る「鴻応山」の個体群と、高槻市堅田や黒柄岳付近を介して
交流があったと推定されますが、現状では両個体群の交流は途絶しているとみるべきでしょう。
従いまして、今となってはギフチョウ小塩山個体群はこの地図の範囲内で孤立していると言ってよいと思います。
また、地図内にひらがなで「あ・い・う」と記入していますがこれは、ミクロに見るとこの小塩山個体群内でも
この3ヶ所がそれぞれある程度孤立しているような印象を私は抱いているという事なんです。
この地域への最初の訪問は1975年04月04日でした。
この日付ですからギフチョウ狙いだろうと思われたかもしれませんが、
当時高校生だった私は、この地域にギフチョウが生息しているとは思っていませんでした。ならば、
何を目的に当地までやって来たかと申しますと、当時大好きだったゼフの採卵に訪れたのです。
というのは、中学校からのお付き合いであるP氏が良い伐採地を見つけてくれ、「ダイセンシジミの卵が採れる。しかも伐採木から!」
というふれこみでございまして、ホイホイと付いて行った訳です。
このとき、もちろんダイセンの卵はそこそこ採れたのですが、道路脇のイボタではウラゴマの穴あき卵、
湿地にはハンノキ、伐採を免れた雑木林内にはクロウメモドキ、そして伐採地の足元にはミヤコアオイの古葉も確認できました。
これを見て、ギフチョウも居てるかも?と思ったのですが、当時は左京区岩倉にいっぱい生息していたものですから、
「わざわざ右京区(当時)のこんな所まで採りに来んでも、授業の合間に採れるしエエわぁ」
(通っていた高校は左京区岩倉にあった)
と思い、ギフチョウ成虫の適期には訪れませんでした。
因みに後日談ですが、この伐採コナラからP氏が探し当てた小さな卵から孵化した幼虫はスクスクと成長し、
ヒサマツミドリシジミへと羽化、とっても驚いたものです。なお、このヒサマツミドリシジミについてはP氏により、
「crude」に発表されたと記憶しておるのですが、あまり自信がないので上記のいきさつ等も含め間違っていましたら、
Pさま御自身のブログで訂正のほどよろしくです。
それにしても、ココに居てるんやったら、大阪府ラベルのヒサマツもあり得ますね。当時、記録はもちろん無かったハズですが、
現在では大阪府のヒサマツミドリシジミって、既にどこかで記録されているのでしょうか?チョッと気になっています。
なんか、書いてる事が妙な方へ向かってしまいました。
次回からは、元々書くつもりだった内容に戻る…、かな?
2012年02月13日
04月(続き2)
ギフチョウ小塩山個体群分布地図
2011年04月13日大暑山事件
1970年代の半ば以降、この地域へは暫く訪れていなかったのですが、
1982年から1984年まで西京区にあった会社に勤めていたことから、シーズンオフを含め頻繁に訪れるようになりました。
というのは、毎日この山塊を会社から眺めていると、お山の方から、
「ええ虫が居てまっせ。いっぺん来てみはったらどーどす?」
とのお声掛けがございましたのですよ。
この時期(1980年代)、ずーっと蝶屋休止中だったにもかかわらず、
こんな声が聞こえてくるなんて、やっぱり蝶屋は治らないものなのですね。
それはさて置き、実際に訪れてみると、平地性ゼフィルスの普通種は一通り見られたのに加え、
小塩山の山麓谷筋ではウラジロガシ、同じく中腹の乾燥気味の雑木林内にはナラガシワが確認でき、
ヒサマツミドリシジミとウラジロミドリシジミの香りも漂っておりました。
また、山麓部の社寺内には美味しそうなサクラが多く植えられていたものですから、
「ここ、夕方になったらキマルリが飛ぶんやろなぁ」
と梢を眺めていると、おそらく上部で樹液が出ていたのでしょう、隣接するクヌギからオオムラサキが飛び出す光景を
目の当たりにしたこともあります。
ただ惜しいことに、この時期は蝶屋休止中だったものですから、
これらの目撃記録をほとんどノートに記載してないんですよねぇ。
この時期、今のレベルで蝶屋的行動をとっていれば、シロチョウ科京都府最珍のスジボソヤマキチョウ、
1970年代中頃まで「い」の地域に居たと言われるクロシジミ、
ヒカゲモノ界の要チェック種であるウラナミジャノメやクロヒカゲモドキなんかも確認できたかもしれません。
あっ、また違う方向に走ってしまいました。話しはギフチョウでしたね。
1982年〜1984年までの会社勤めの間、当時は途中にゲートなど無く上記地図内の淳和天皇陵付近まで車で行けたものですから、
「あ」の地域へはけっこう頻繁に訪れた記憶があります。もっとも、毎回昼休み等を利用して行っていたものですから、
滞在時間はとても短かかったのですが…。
もちろん春のギフチョウシーズンにも訪れた事があるのですが、このときは京都市内で見ることはないだろうと思っていた
カタクリの群落に驚いてしまいました。そして、
「このカタクリ群落、有名になったら、えらい事になるやろな…」
と池の在る緩やかな谷間、静寂に包まれたカタクリ群落の真ん中で思ったものです。
そう、平日だったとは言え、当時は誰にも会わないような場所だったのです。
(一度だけ、花屋さんの1BOX車で来られた推定蝶屋さん1名を目撃)
ところが今では春のカタクリ開花時期になると、あの静かだった谷間には、
近年著しく増加した中高年登山者の方々の話し声やデジカメのシャッター音がこだまし、
平日でも大いに賑わっているそうです。
2012年02月16日
04月(続き3)
ギフチョウ小塩山個体群分布地図
2011年04月13日大暑山事件
この画像は2006年に「あ」の地域で撮影したものです。
表示の集団の方々が手作りされたのであろうこの看板、その内容について言いたいこともありますが、今回は止めておきますね。
こうして、ある程度の人数の集団が、看板の文言にある意図を持って活動されているような地域に、
わざわざ大きなネットを持って進入するような意志を私は持ち合わせておりません。
また、ここに掲げられた看板の内容を担保する条例ってどれを指すのか?とか、
当地で行われている活動に効果があるのか否かはともかく、この活動に参加されている方々の気持ちを逆なでするような行為は
慎むべきであると思っております。
従いまして近年は、「あ」の地域へ踏み込むことを意識的に避けてきました。
けどね、1970年代の中頃に「い」から始まり、次に1980年代前半からの「あ」、そして2000年代前半から「う」
の地域で、そこに生息する蝶を40年近く採集・観察してきた私からすると、
「遠慮して『あ』を避け、『う』の地域で継続観察しているのに、
●印の位置で因縁つけられたら、何もでけへんやないの…」
と、モチベーションだだ下がりですわ。
あっ、それから念のため申し添えますと、2011年04月13日にその男と遭遇するまで、「う」地域内を歩いた範囲では、
上記画像内の看板に類似するような物体は見かけませんでした。
こうして、その男に因縁をつけられたが為に2011年の「う」地域における調査は納得できるまで行えなかったのですが、
男に遭遇するまでに調べた範囲ではギフチョウを見ることができませんでした。
これで私自身は4年連続当地で目撃できていないのですが、他の方からの私信で「2009年には目撃できた」
との連絡を受けていますので、この「う」地域で見られなくなったのは2010年以降ということになります。
また、「い」の地域で見られなくなったのはもっと早く、私自身の最後の採集は1996年で、
他の方により2000年に採集されて以降は確認されていないと思います。
そして、「あ」の地域ですが、これは私自身の目で確かめた訳ではなく、他の方のブログ等を拝見していると
2011年もギフチョウが見られたようです。
ということで、このギフチョウ小塩山個体群は『未だ絶滅していない』という状況なのですね、今は…。
「そんな事、やってくれなんて、誰も言うてへんやん」
とのお声が聞こえてきそうですが、私はこのギフチョウ小塩山個体群の消長を[ふしみやDB]に記録しておきたいのです。
記録したとして、直ちにどーなるものでもないのですが、意図的に操作された情報が流布された結果、
これを真に受けた独善的で偏狭な正義感を抱く男により、40年近くにも亘り観察・記録してきた事柄が中断されてしまうなんて…。
私は悔しくて仕方ないのです。
2012年02月19日
突然ですが、海の向こうから↑こんな封筒が送られてきました。
いったいこれは何なのだろう?と不審に思いつつ封を切ってみると、Google AdSenseの個人識別番号(PIN)
というものが書かれていました。
わたくし、マメなことにYouTubeに35タイトルの動画
をUPしております。
2009年10月20日に初めて動画をUPしてから昨年09月までの2年間は何も言って来なかったのですが、
「あんたの動画は収益をあげられる可能性があるので、そのプログラムに参加してみまへんか?」
という怪しげな儲け話へのお誘いがあった事は既に書きました。
参加したのはよいけれども、実際に収益が発生したら、金銭を受け取るのにどのような方法をとるのだろうか?
と疑問思っていたのですが、どうやらこの個人識別番号(PIN)が鍵だったようです。
皆さんのPC等で私の動画が再生されると、その動画内下部に広告が挿入されますよね。
この広告が皆さんの手によりクリックされると、自動的に広告料がGoogle AdSense管理下にある私の収益BOX
に一旦プールされます。この金額が一定の額(日本円で10000円だそーです)に達すると振り込まれるというシステムだそうです。
「現在、日本円で700円ほど貯まりました。つきましては、振込の準備をしておきたいので、
あなたの口座番号をこの個人識別番号(PIN)と共に入力してください」
といった内容(英語からの直訳みたいで理解し難い!)が、このお手紙内に示されたURLのページに書いてありました。
けど、約5ヶ月経過して700円ですから、これまでのペースでクリックしていただいたとしても、
振り込まれる金額に達するのは数年後ということなりますね。
もっとも、皆さんが意識的にクリックしてくださると、意外と早いかもしれませんが…。
2012年02月22日
Google AdSenseの件、続きです。
昨日、銀行で通帳記入してみたところ、こんな↓のが記載されました。
「グーグルインクって、なんやろ?塗料屋とは取引きあるけど、インク屋とは取引き無いしなぁ…」
と一瞬ボケてみましたが、グーグルはGoogleで、インクはInc.でIncorporated の省略形。
即ち米国の法人企業であるグーグルから、あなたに79円が振り込まれましたよっ、という記載なんですね、コレは。
そーいえば、Google AdSenseの理解し難い英語直訳Webページに、
「個人識別番号(PIN)と銀行口座情報を入力いただいた後、
口座確認のために10日以内に少額を振り込みます」
と書いてありました。
それにしても「79円」って中途半端な金額ですが、良く考えてみるとこの金額はこの日の米ドル/円の仲値、
ということでこれは「1ドル」だったんですね。
そしてこれはもしかすると、生まれて初めて外貨収入になるのかな?
来年の確定申告時に、どう書けばよいのか悩むことになりそうです…。
さて、ひょっとすると新手の「振込みまっせ!詐欺」に騙されているかもしれないお話しはこれくらいにしておいて、
2011年の総括に戻ります。
05月
震災の影響でゴールデンウイークはずっと京都に居て採集には出かけず。
中旬の日曜日に、富山県でギフチョウの私的新ポイント(地元では知られているのかもしれませんが)を開発し、
やや時期遅い目ではあったものの、多くの個体を思いっきり採集し、満足しました。
下旬には、昨年下見して良い感触を得ていた三重県内でシルビアシジミを探索したのですが、
こちらの方は、結果的に思いっきりコケました。
目星をつけていた場所は、いずれも思っていたより多くのミヤコグサが生えて好環境だったのですが、
ことごとく居りません。
実は、かなり期待していたのですよ…。
そして、心残りは↑ココ、JSDFの飛行場です。
有刺鉄線をかい潜り、侵入して調べたかったのですが、なんぼなんでもねぇ〜。
銃撃まではされないでしょうが、すぐに発見されるのは自明。
えらい事になりますもんね。
2012年02月25日
基本的に2011年の総括を書いているのですがGoogle AdSense等、新しいネタが出てくるとそっちの方へと話題が流されてしまうので
連続性が失われ、訳が分からなくなっていますが、今日は06月です。
06月
06月の日曜日は全回遠方へ出かけておりました。順に挙げると、
・06月05日:三重県の、主に紀北町でシルビアシジミを探索したのですが、ミヤコグサすら
見い出せずに敗退。
・06月12日:深洞湿原の手前でコケてしまい右手小指からけっこうな出血。ネットと三角紙
を血まみれにしながらも、ギフチョウはそこそこのお持ち帰り。
・06月19日:大多和峠からごそごそ行った場所で、たーくさんのギフチョウをネットイン。
しかしながら鮮度の関係でお持ち帰りは、やっぱり、そこそこ。それにしても、
超新鮮な推定クマの糞にはビビリましたわ。
・06月26日:鳥取県と島根県でキマリンの採集と探索。この件については語らない方がよい
と思うのでtextは無し。けど、それではあまりにも愛想無しなので一つだけ
画像を貼っておきましょう。↓は島根県の某所、「うむぅ〜」でございました。
これらの日曜日以外は、ほぼ毎日仕事の合間にキマリンを対象に京都市内とその周辺へと出かけ、
まあ、その…、適切な数をお持ち帰りしておりました。
2012年02月28日
02月も明日で終わりだというのに、未だ今日も2011年の総括、07月です。
07月
キマリンを対象に京都市とその周辺へのお出かけは、06月上旬から07月中旬までほぼ毎日続け、
T先輩が昨年開発され、生息しているのが判っているのだけれどもこれまで未訪問だったポイント1ヶ所と、
私自身の本年新規開発ポイント6ヶ所と合わせ、2011年は7ヶ所の新しいポイントで採集する事ができました。
これまで、私とT先輩で調査した結果、手持ちのポイントは数十にものぼるのですが、
未だにこれだけの新ポイントが出るのですから、京都市とその周辺では少しでも「居るのとちゃうやろか?」と感じたら、
探してみるべきだと改めて思った次第です。
そして、この2011年に新規開発した6ヶ所のポイントですが、いずれも「えっ、そんな所かぁ…」
というような○○○○場所で、チョッと画期的かな?というような場所は1ヶ所のみでした。
もっとも、これら6ヶ所のポイントはいずれもテリトリー位置の特定に熟練を要するような場所がほとんどで、
「こんな所でもテリを張るんだ」という事が分かってないと見えてこないでしょうね、きっと。
この07月、京都市とその周辺のキマリン以外では、兵庫県但馬地方のキマリン、兵庫県日本海側の海ウラナミ、
岡山県のキマリンを対象に出掛け、これらは全て採集。
島根県と広島県へはキマリンを対象に採る気満々で出掛けたにもかかわらず、ご期待通りの返り討ち。
あと、けっこう嬉しかったのは、地形図の読みからキマリンを対象に訪れた島根県の某所で、
薄々と言うか、読み通りの環境ならきっと居るだろうと期待していたコキマとヒメシを採集できた事でございました。
それから、↑の画像は島根県某所へヒメヒカゲの観察に訪れたとき、ポイント斜面の麓で撮影しました。
どーしても探してみたくなる桜並木でございましょ。
ということで、私も長竿でペシペシやってみたのですが、当然のことながら怪しい蝶影は何も目に留まりませんでした。
2012年03月02日
2011年の総括を早く書き終えてしまわないと、トップページに置いた過去の近況へ跳ぶ表がどこまでも拡大し、
見辛くなってしまいます。
別ネタで書きたい事もあるのですが、2011年の総括、今日は07月〜08月です。
07月〜08月
07月下旬〜08月上旬は、山ゴマを対象に大日岳(水後山)か赤兎山へ行きたかったのですが、
07月31日(日)は天気の関係で山ゴマは断念し、京都府南部でシルビアシジミの探索。
08月07日(日)は夏休み恒例の家族で湖水浴in琵琶湖という行事でございました。
08月14日(日)〜16日(火)のお盆休みには中国地方4県ゴマシジミ巡りへと出掛け、
各地でそれなりに採集することができました。
で、↓の画像は08月14日に撮影。島根県浜田市(旧那賀郡金城町)傍示峠の北方、
大潰山の登山口から大佐スキー場方面を望んでいます。
看板の赤色文字が少々読みにくいですが、「大佐スキー場第4駐車場を車両が使用(有料使用)している時は十分に気をつけてください」
と書いてあります。
この日は、車両が使用していなかったので危険はなかったのですが、これまでに訪れた(合計3回だったと思う)ときはいずれも、
大佐スキー場第4駐車場と呼ばれる↑のアスファルト面上にカラーコーンを立て、改造四輪車を持ち寄った方々が自慢のクルマに乗り込み、
爆音轟かせながらグール・グルと回転運動に精を出しておられました。
耳をつんざく排気音とタイヤの焦げる異臭、それにお見受けしたところ上品とは言い難い人々が、たむろしておられたものですから、
この場所に到達できたのは今回が初めてでした。
これまでに訪れたときはいつも、大佐スキー場内からこの方向を眺め、
「今、クルマが爆走しているアノあたりで、コキマダラセセリ、ホシチャバネセセリ、
ヒョウモンモドキ、ヒメシジミ、ゴマシジミなんかがきっと採れてたんだろうな…」
と、ため息をついていたのですが、やはりその通りだったようです。
こうして実際訪れてみたところ、アスファルトによる被覆を辛うじて免れた地面からは水が滲み出し、
湿地を好む植物も残存していたことから、昔は自然度の高い湿地が在ったのだろうと想像できました。
今ではこんな事になってしまいましたが、過去にはイイ蝶がいっぱい居たんでしょうね、きっと。
そんな湿地を潰してしまい、やっている事はと言えば、改造車でグール・グルと回転運動ですわ………。
2012年03月05日
2011年の総括を続けます。今日は08月〜09月です。
08月〜09月
08月の最終日曜日、28日は広島県の府中市(旧甲奴郡上下町)、神石郡神石高原町(旧三和町と旧神石町)
でゴマシジミを探したのですが、打ちひしがれて帰宅しました。
このあたり、いよいよダメになってきたようです…。
そして、09月に訪れた場所を順に挙げると、
・09月11日:京都府の丹後半島でシルビアシジミを対象に探索するも、予定通りのnull。
・09月18日:和歌山県紀南地方でシルビアシジミを対象に探索するも、当然のnull。
しかしながら、予想外のリュウキュウムラサキを2雄採集して上機嫌。
・09月19日:和歌山県紀南地方でシルビアシジミとタイワンツバメシジミを対象に探索するも、
これまた当然のnull。
・09月23日:鳥取県倉吉市方面へシルビアシジミの採集目的で出かけたものの、国道9号
白兎海岸付近の渋滞で時間不足に陥り、採るには採ったけど、不完全燃焼。
といったところ、さすがにこの時期になると休日にしか出かけておりません。
A 2010年10月31日 撮影
B 2011年09月19日 撮影
C 蝶研フィールド Vol.1 No.7 通巻7号 (1986)18ページより引用
さて、唐突に画像を3枚貼りましたが、これらはいずれも同じ場所になります。
地形図の読みとGoogle Earthの衛星写真から推定し、シルビアシジミをその探索対象に私が訪れたとき、
初めて撮影したのがAの画像です。
このとき、予想通りにミヤコグサは生えていたものの、シルビアシジミは確認できませんでした。
次のBは2011年に撮影。
例によって諦めきれずに餅を搗いての訪問(3回目)だったのですが、こんな酷いことになっておりました。
わざわざ選んで工事したのではないかと思えるほどの正確さで、ミヤコグサとコマツナギが多かった斜面がコンクリートで被覆されています。
これでシルビアシジミが採れる可能性はゼロになってしまいました。もう、再訪することはないでしょう。
そして最後のCは、「本誌編集部 小路嘉明」としてお書きになった『紀伊半島のタイワンツバメは本当にいるか?』
という記事から頂いて参りました。本文を読むと、撮影日は1986年09月08日〜11日の間だったようです。
紀伊半島での探索から帰宅後(2011年の10月頃)に、タイワンツバメシジミの記録が気になって調べたとき、偶然この写真に気付きました。
私の場合、当地での探索対象種はシルビアシジミだったのですが、ここが紀伊半島におけるタイワンツバメシジミの推定記録地だったなんて、
びっくりしてしまいました。
対象種は違えども25年という時間を越え、同じ場所へと訪れ、しかもお互いに居そうもない蝶を探していたなんて、
私も氏の境地に少し近付けたみたいで、嬉しくなってしまいました。
2012年03月08日
2011年の総括、やっとこさ、秋までたどり着きました。今日は10月です。
10月
10月の上旬、体育の日の連休は親戚の結婚式で宮城県仙台市へ行っておりました。
親戚宅への移動中に車窓から外を見ていると、津波に襲われなかった内陸部でも、多くの建物が損壊しておりました。
特に木造在来工法で和瓦を戴いた建物が大きなダメージを受けたようで、これら建物の多くは
「棟」の部分にブルーシートが掛けられておりました。建物の最上部に在り、なおかつ重い「和瓦の棟」は
揺れの影響を受け易いのでしょう。
地震の多い地域での和瓦の採用は果たしてベストなのか? …考えさせられました。
あと、16日(日)は某所へシルビアシジミを採りに行き、23日(日)はシルビアシジミの探索に滋賀県の日野川・家棟川・野洲川流域へ。
そして30日(日)は三重県の陸上自衛隊明野航空学校のお祭りに乗じてシルビアシジミを探そうと目論んでいたのに、
飛行場内シバ草原へは進入禁止ということで、あっさりと探索中止。仕方がないので
ヘリコプターの動画(既出)とヘリコプター画像↓の撮影に精を出しておりました。
もしかするとこの機も、震災のときには出動していたのかもしれませんね。
2012年03月12日
2011年の総括も、終わりが見えてきました。今日は11月です。
11月
2011年11月03日に撮影・採集した↑の三重県産ツマグロキチョウ、これは嬉しゅうございました。
何といっても偶然ではなく、ある程度狙っていたと言うか、特に2011年のこの時期、紀伊半島の東部では採れる可能性が高いと予想し、
それが見事に的中したものですから、じぃ〜わりと快感が涌いてきて、帰ってからも暫くはテンションがけっこう高い状態…、
その勢いでこんなページまで作ってしまいました。
以下、2011年秋には紀伊半島東部で本種の採れる可能性が高いと予想した理由を述べておきましょう。
1:K大T研OBであるT氏のホームページを開設当初から楽しみに読んでいるのです
が、その中の蝶の写真シロチョウ科ツマグロキチョウのページに、「愛知県では、
住宅造成地などの一時的な荒地で帰化植物のアレチケツメイを食べて発生して
います」との記述がありました。
(話は変りますが、ララ君がとっても可愛いので、もっと登場させてほしいなッ)
2:2011年09月上旬に台風12号が紀伊半島に豪雨をもたらし、沿岸部では紀伊半島
の「東部」が、大きな被害を受けた。
3:シルビアシジミとタイワンツバメシジミを狙って2011年09月18日〜19日に紀伊半
島西部を訪れたとき、国道42号を走っていると、重機を積んだ大型トラックが目に
ついた。
これら三つの事実から、
09月上旬以降、災害復旧の為に多くの重機を紀伊半島に投入。
↓
紀伊半島東部の場合、重機は名古屋圏から投入するのが合理的。
↓
名古屋圏という事で、重機の置いてあった場所にはアレチケツメイを食す本種が生息。
↓
重機の無限軌道や大型トラックには土の食い込む場所が多く存在。
↓
この食い込んだ土にアレチケツメイが付着し、さらに初期ステージの本種も付着。
↓
川の氾濫による被害が多かった事から、災害復旧で重機が活躍する場所は河川付近。
↓
食い込んでいた土が河川堤防付近に落下した後、現地にアレチケツメイが根付く。
↓
このアレチケツメイを食した個体が成長し、10月下旬から羽化。
というような事もあり得るだろうと思っておりました。
元々、三重県の紀伊半島東部を訪れた主たる目的はシルビアシジミの探索だったのですが、
上記の理由から「ツマグロキチョウについても注意が必要」と自分に言い聞かせておりましたので、
探索中にキチョウ系の蝶が目に付くと、必ず近づいて種名をチェックしてたんですよねぇ〜。
そしたら本当にツマグロキチョウが飛んでいるではありませんか!
このとき既に、三重県の本種は10数年振りの記録になるとは知っていた(シルビアの記録チェック時に把握)のですが、
意外にも冷静に、撮った後に採ることができ、ホンマに嬉しゅうございました。
2012年03月15日
2011年の総括も、ようやく今日でおしまい、12月です。
12月
この12月、フィールドに出たのは04日の1回だけでした。
対象種はシルビアシジミとキマダラルリツバメで、訪れた地域は滋賀県〜三重県。いずれも「下見」という位置付けでした。
結果、私の妄想を刺激するのに充分な環境を確認し、2011年の行動はこれにて終了。
数えてみると、年間出動回数は77回で近年では最も少なかったのですが、書きなぐったノートのページ数は236。
歳を重ねるにつれ、コメントをダラダラと長く書く傾向があるようです。
2011年総括の完了が、この3月中旬にまでずれ込んだ反面、
←この[ふしみやDB2011年版]へのテキストの打ち込みは、2月中に終わりました。
現状、テキスト打ち込み終了ということでラベル印刷ができる状態になったので、
これからは展翅を外して「全ての個体の表裏を撮影する」という工程に入ろうと思っております。
ところで、例年であれば今時分の沖縄訪問から本格的スタートを切るのですが、今年は諸般の事情
(正直に申せば売り上げが悪いのでございます)で行く事が叶いません。
フィールドに出れば、あれこれ書くネタをお持ち帰りできるのですが、
今の状況で思いつくネタと言えば、「展翅外し」の動画ぐらいのもの…。
ということで今日は「展翅外し01【ラベル切断編】」の動画でございます。
けど、この動画、ハッキリ言って全然面白くありません。「ワシの6分22秒を返せ!」と叫びたくなるような代物ですわ。
|